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歴史と沿革

二尊院の歴史は、嵯峨天皇の勅願により第三代天台座主(円仁)が承和年間(八三四〜八四八)に建立したことにはじまります。
鎌倉時代の初期には、法然上人(一一三三〜一二一二)が二尊院に住んで法を説かれ、関白九条兼実公(一一四九〜一二〇七)を筆頭に多くの信望を集めて栄華を迎えました。
第三世の湛空上人は、土御門天皇(在位一一九八〜一二一〇)と後嵯峨天皇(在位一二四二〜四六)の戒師(仏門に入るときに戒を授ける師僧)となり、また第四世の叡空上人も後深草天皇(在位一二四六〜五九)、亀山天皇(在位一二五九〜七四)、後宇多天皇(在位一二七四〜八九)、伏見天皇(在位一二八七〜九八)の四帝の戒師となり、二尊院はますます栄えました。
応仁の乱(一四六七〜七七)の兵火で諸堂は全て焼けましたが、永正十八年(一五二一)に第十六世恵教上人(後奈良天皇の戒師)のときに、三条西実隆公が諸国に寄付を求めて本堂・唐門を再建しました。
南北朝の頃より明治維新まで、「黒戸四ヶ院」の一寺として京都御所御内仏殿をお守りしていた関係上、旧宮家である鷹司家・二条家・三条家・四条家・三条西家・嵯峨家、そして江戸時代初期の豪商である角倉了以の一族、江戸時代の儒教学者である伊藤仁斎の一族などの墓所があります。
古来より天台宗・真言宗・律宗・浄土宗の四宗兼学の道場として栄えましたが、江戸時代後期より天台宗に属しており、「嵯峨三名跡」の一ヵ寺に数えられます。
奈良の仏師によってつくられた本尊二尊は重要文化財に指定されており、現存する本堂、総門、八社宮、湛空上人廟は京都市指定文化財になっています。平成二十八年(二〇一六)には、平成の大改修として本堂が再建され、新たな歴史を刻んでいます。

当院には二尊のほか、さまざまな寺宝を受け継いできました。「法然上人足曳きの御影」は九条兼実の命により絵師・宅間法眼が描いたもので、現存する法然上人の御影の中で最古のものと言われています。「法然上人七ケ条御制誡(法)」は、当院のものが原本とされており、二尊とともに重要文化財に指定されています。

重要文化財
木造釈迦如来立像 / 阿弥陀如来像 / 絹本著色浄土五祖像 / 絹本著色釈迦三尊像 三幅 / 絹本著色十王像 十幅
絹本著色法然上人像 / 絹本著色三条西実隆像 / 絹本著色三条西公条像 / 法然上人七ケ条御制誡 附蒔絵箱
法門名義巻第一
重要美術品
絹本著色二十五菩薩来迎図 十七幅
京都市
指定文化財
本堂 / 総門 / 八社宮 / 湛空上人廟